朝木二古

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私の成長記録

いつもお世話になっている水、の日
<令和2年8月1日>

今日は水の日だそうです。Wikipediaの今日の記念日について見てたら書いてありました。国交相のホームページにもちゃんと記載されてます。これです。

水の日」及び「水の週間」in「国土交通省ホームページ」

びっくりしたのは今年のポスターに水タイプのキャラクター登場していることです。

この「水タイプのキャラクター」実は某国民的図鑑にて、体の細胞が水分子の構造と近いと紹介されているんです。細胞が極性を持っているということなんでしょうか。子供向けのアイディアにしては非常にうまい例えだなあとか思っちゃいました。

子供相手でも本気で説明しようとするそのストイックさに麻痺をする今日です。

そして国交相もがんばってるなーとか感じた梅雨明けでもあります。

水って面白いですよね!

お風呂に入っている時、橋の上から川を眺める時、洗濯機の水流を見つめる時、自分はまじまじとその見た目の面白さに見とれてしまいます。

水に見とれる最大の原因はある意味「とろみ」にあるのだと思います。ほんのわずかですが水はお互いがわかれないようにくっつき合おうとしているんです。

まあ、「見た目が」ということなんですが・・・

でもその水の流れの「見た目」に今も私は子供の時と同じように「見惚れ続けている」のです。

クレジットカード

クレジットカードを使うときに大概お店の方に、お支払いは?と言われることはもう知っているので、

こちらが先手を取って、一回で。

と伝えるのだが、たまに言い忘れる時もあり、そして一回でいいですか? と質問されたときに、いつも思う。

じゃあ、n回で。

ってはっきりと答えたら、どんな反応するのだろうかと。

パターン1(85%)

(Siriみたいに)聞き返される

パターン2(5%)

言葉に詰まる、がそれは選択肢にないとかなんとか言われる。

パターン3(5%)

一回である事を、なんとか確認する

パターン4(5%)

その他の反応(無反応も含む)

パターン5(誤差で0になる程度)

nの定義を教えて下さい、と言われる

とは言え、恐らくこのストーリーは人類も中々未体験であろう。予断を許さない。

自分がもしレジで質問されたら、nの値が小さいほど支払額は少なくなりますよ、と自然数である事を前提に教えてあげる、かな。無限に時間があれば、nに対して、正の極限をとるんだけどね。無限は無理だ。〆人生は有限だから、有限の量に価値を見出せるのかなぁ。

うまく収束した…ようですね。

パスタ

フライパンでパスタをゆでます

全部の麺の方向をそろえて入れれば

フライパンだと束の中心が外側に曲がりパスタの先端位置は変わらないので何か面白い形になる。

最初に見たときは、生物の教科書に出てくるカエルの筋肉を連想した。電気を流すと「ピク」と動くらしい、自分は結局見る事がなかった。

それはそれで幸運だった、のかな

実際、料理中は問題ないけど食事中は微妙かもしれない

次にゆでた時は両端が固定端の反射に見えた。基本振動の定常波ですかね。多分高校生も似たような気持を感じる事ができるはず

が、・・・

そんな事を考えていると、たいがい手が止まったり、動かし方が機械的になる。するとやはりパスタがくっつくのだ

よく混ぜる

パスタを入れて1~3分目の時が一番パスタ同士くっつく気がする

パスタの程よいゆで加減は、フライパンの中心に浮かび上がる泡の量で考えていたときもあったが、結局味見しないと自分はだめみたいだ。

料理毎に、逐一確認しないとお皿に乗せられない、生パスタは実際食べたくない。胃に負担がかかるだろう。

アルデンテなんて出来る気がしない。一流のシェフはそれらが出来るから一流だと思う。

アルデンテのストライクゾーン(タイム)を伸ばすにはどうすればいいのか。水の温度を下げるわけにはいかないし・・・?

この場合バッターにたっぷりの塩を送るのは適切なのか。

一つの見方としては、球数が増えてピッチャーに負担がかかるんじゃないか、ということもある。

雲ってなんだろう。毎日うえにいるんだけど、日々の生活で全くかかわりがない。そして実際はどんな存在なのか案外よくわからない。

ここから見ているだけだと、白いわたのような固まりが少しずつ動いているだけで、それ以上の発見はなさそう。

近くに行ってみよう。

山に登ると雲が近い。雷様を下に見るわけですね。しかし、接近したら何となく身体が濡れたり、視界が悪くなるだけで何か雲を理解した、と言う手応えはまるでない。

というか、近づくと雲は霧と呼ばなくてはならない。つまり雲は私にとって、遠くから眺められ続ける宿命らしいです。

近くから見ると全体が見えない

かといって、遠くから見ると詳細が分からない

・・・

という妄想。

雲って水蒸気じゃなくて、液体の水じゃなくて、氷でもなくて、みずから、できているんだよ。

・・・

という表現

そりゃあ、ちぎれ飛んでも気がつかないわけだ。

伏線

円周率とはなんだろう。文字を見ると円周・率ということで、「それが」どのくらい円周なのかっていう感じなのだろう、しかし科学では漢字の意味をそのまま受け取っても理解が進むわけじゃないし。円周を直径で割ったときの値、と言ってしまうとその通りなのだが。

あ、いや、疑問がおかしいのかな。疑問を変えよう、円周率はなぜ割り切れないのか?

変な話だ。そのせいで、円周率は無理数に含まれている。変だなー。こう感じてしまう理由は円周も直径も測れて、そこに値として存在するのにその比は分数で表す事ができない。なんで?・・・

しかも、そもそも、円周率の定義自体が分数じゃん!なら、円周率は有理数でいいじゃん

というのは、今は昔の話になってしまった。

円周は曲線だから、直線、特に数直線のような、私の持つ真っ直ぐな定規に対していつも平行になりうる直線では正確な値は測れないのかなあ。このときは、曲線は直線ではないから。

というより直径や半径から円周の長さが分かったらいいな、と言う感じで円周率は「発見」(発明)されたんだろう。と考えると「円周率」という熟語はとても的を射ているということになってしまった。

まさか!円周率についての議論になったとき、分かりやすいように、わざと英語圏では存在しない単語を「円周率」としてまるで一つの単語のように定義したのであろうか!

それにより、円周率について、理解が進む場合と、錯覚が進む場合とが並行する私の頭の中を作り出してしまったのか。単語を作るのは難しいんだなあ。

まさかこんな伏線を円周率によって引いていたとは。円周率だけに、伏線は曲線である。

ちなみに伏線を回収すると言う言葉自体が、すでに、この意義を収めている。

話はそれる、されど進まず

フラミンゴ

フラミンゴは暗黒の恐怖の抗えない絶望の象徴です。

どう考えてもあいつは怖い、恐ろしい。ピンク色と片足立ちと、それだけで十分怖い。

しかもやつらは集団で居やがる。十羽、百羽、とかいうのんきな単位ではない。全てが圧倒的なのだ。

仮に1羽だとする、いや、フラミンゴに対し1羽という表現は似つかないので1体としよう

1体だとしても絶望を表現するのには容量オーバーだ。1体のフラミンゴが昼の街中で誰にも気づかれず、しかしその人のみに気がつくようにこっちを見ながら不自然な落ち着きを見せている。

これだけでもうだめだ。説明がくどいようだが、無限は1つあれば高々有限など相手にならない、理解する刹那すら与えない。

という、フラミンゴ。ああ、アフリカ、サバンナ、一人、大草原の湖畔。

フラミンゴという曲がある、レモン、パプリカ。米津玄師。

この人のFlowerwallは色とりどりだ。

この人は、鋭すぎる表現は万人に受けるという、よく分からない説を実証しつつある。

すごいなあ、すてきだな。そこで疑問が少なくとも一つ。

Flowerwallとは何か。ミスチルの「終わりなき旅」の二番目の壁なのか、 esrevnocのsweet strawberry toastの迷宮の壁の事か。

どっちも違うかな。

よく分からないのは今に始まった事ではないのでまあいいや。素敵な方々ですよ、ほんとに。

フラミンゴの絶望を人の手でつくるのなら、それはナンバーナインであるが、「レボリューション9」のことである。

文学(9月4日)

ルネサンス時代の美術においてあまりにも有名すぎる、ミケランジェロ先生は

「どんな石の塊も内部に彫像を秘めている。それを発見するのが彫刻家の仕事だ」

「石」自体がすでに彫るべき形の限界を定めているからだ・・・・・・わたしの手はその形を石の中から取り出してやるだけなのだ」

「私は大理石の中に天使を見た。そして天使を自由にするために彫ったのだ」

という素敵な名言を残している、いや残し過ぎています。そこで私はとんでもない事に気がついてしまったのです。それは

というのは自分もその、石の中にある天使を切り出してみようと、そしてその天使を自由にして彫刻家としての名を死後百年に遺そうということを。

というわけで、彫りました。がその日は天使は出てこない、

次の日、違う石で試してみたがやはり出てこない

3日目無心で行うも片鱗すら見えない

そこで私は悟った、

「少なくともこの時代の石には確実に天使は隠れていないんだ」と

・・なにか変なもやもやは私を包み始めこの世界から遠ざけていく・・・

夢を見ていたんだ

起きて悟りが失われた、理由が分からなくなった。

なぜミケランジェロが今日まで生きているのか、その理由をあの時、確かに分かったのに・・・

地図(9月3日)

世の中には様々な種類の地図があります。駅などにある公共施設を示す地図、住宅地図、地形図、気象予報図、宝の地図。

地図を見るときに大切な事は、唯一つ。その地図のどこに自分がいるか、を知っている事ですね。

大概の固定化された地図には現在地がついており、経路を考えるだけで済みます。他にも今はGPSというものがあるので、地球の表面にいる限りは心配なく地図を見る事ができます。

・・・この流れだと、例えばこの文章の流れは「大概」とか「限りは」を使っているのでこのままだと「しかし世の中にはGPSが使えない地図がある・・・」的な話になりそうですね

―地図では書いた本人と読む(見る)人間は異なるけれども地形は一緒なので現在地の考え方は一律でしょう。文章ではそうは行かず現在地の確認は非常に難解です。目的地もあいまいでしょう―

で、言葉で現在地を確認しながら文を進むのは大変です。文は自然である必要はないからです。というわけでこの文の流れを変えてみたいと思います。

ところで、メルカトル図法のメリットってあるの?

気象(9月2日)

気象とは何か。

気象とは性質の事。最近異常気象の発生が多いと言われています。確かに雷や火事、洪水、地震、...変化の仕方が急激で局所的でダメージは大局的です

しかし荒れ狂うのは天候だけでしょうか。

気性が荒い

いや、特に深い意味は有りません

そのうち春や秋などの温和な過ごしやすい季節は短くなり、暑苦しい夏か、凍える冬のみになってしまうようです。

気候はどんどん厳しくなるようですね、人間の性格はどうでしょうか

別に関連はありません

秋がないと千秋楽がなくなります、千回秋を呼んだって一日にもなりませんから。春も来ないし、花粉症もなくなります。気温の変動は緩慢になり体への負担は減ります。強い気圧で台風も避けられます。俳句の季語 も半分になり使っていい単語の量が増えます。何かいい事の方が多そうですね

・・・しかし、これにはとんでもない落とし穴があるのです。

青い春がなくなるのです

青い春、青い蝶、蒼い、あおり、水色の町、限りなく透明に近い青、そして青がいなくなる

やっぱり三時のおやつはケーキがいい

夢の中へ(9月1日)

夢の中へ

今日のタイトルは「夢の中へ」、このフレーズでは井上陽水さんの「夢の中へ」が有名ですね。

夢の中ってどんな感じなんでしょうか

毎晩行っていますが想像しにくい場所ですね

今考えるとふわふわ、というかぐちゃぐちゃしていてそれでかつシンプルという感覚が似ています

でも案外、夢の中から現実を考えるのと特に違いもなさそう

そう言えば「夢の中へ」では探し物が見つからないようですが、結局見つかったのでしょうか。

諦めたとき、見つかることも良くある話で(、)すから、

きっと夢の中で見つかったんでしょう。ハッピーエンドですね。いや、知りませんけど

斎藤由貴さんのカバーでは見つけてそうな気がしますが、やっぱり分かりません

で、中だけじゃ満足できずに、夢の外へ出て行くコロンブス的な人がやはり出てくるようで、すごいなあと感心します。ダンスも上手いし。その「夢の外へ」のビデオでは何となく愉快で覚悟のあるセンスが思う存分発揮されていて隣のこれまたダンスの上手い男性と素敵な作品へと仕上げています。

しかし、作詞も作曲もしているのになぜ赤い靴の男性ばかり移すのでしょうか、星野源さんという人は隣で踊っているだけです...

…それで私気づいちゃったんです、皆だまされていて、実はこの赤い靴の爽やかなシャツを着て澄んだ目をしているこの青年のような男性こそが本当の星野源さんなんじゃないかと

そうすれば全てのつじつまが合う

って隣のトランジスタが喋ってました。

地球最後の日(8月31日)

世の中には区切りが付きもので。

文章にも、髪の毛にも、利用し得るエネルギーでさえも。結構多いです。しかし最終日の恐怖の象徴では「夏休みの終わり」が怖いです。いや、8月31日と言う響きの方が怖いです。(日曜日の夕方とは気分が異なります)

片付けられてない宿題も怖いですが、(・・・えっと宿題に恐怖を感じる学生のほとんどは既にあらかた終わる目星は付けて8月31日を迎えるでしょうから)何が怖いかって、

「今年の夏休みは楽しかった」

と自分に嘘をつかずに9月1日を迎えられるかと言う事です。これはもうどうしようもない恐怖です。表現が変ですが、えも言えぬ恐ろしさです。だって1ヶ月と10日間であれやろう、これやろうと思っていた事が何にも出来ていないなんて後悔しか残りません。義務としての夏休みの宿題なんていつか終わります。

なるほど芥川龍之介先生はこれを言っていたのですね。たしかに新学期にも不安が残ります。

ではどうしたら後悔せずに過ごせるのか。それは私のルールを大切にすることでした。破ったり、例外を設けるたびにルールは傷つき、弱くなります。何より言葉や気持の価値が落ちていきます。でもずっと変えないでいられるほど未来を見通してはいないのでたまに委員会に提出して審査し、本会議で可決します。昨日の自分と今日の自分が対立したら明日の自分で多数決により採決します。そんな感じで言葉が大安売りだと足元見られますから、ここはぜひブランド戦略・ポジショニング理論を考えていきたいものですね。

早起きは2580円(税抜き)ぐらい得!

アリとキリギリス(8月30日)

童話で有名なアリとキリギリス。

子供の頃、短編集のなかにあったので何度も目にしました。

アリは普段の生活の中で精一杯仕事をし、冬に備えて食べ物を備えるのですが、キリギリスの方はろくに仕事もせず遊んで暮らしていたので冬になると食べ物が底をつきアリに助けを乞うというお話です。キリギリスに馬鹿にされたアリが、キリギリスを助けるという場合の話は感動ですが、この話、ちょっと違和感があります。

なぜアリは全員働き者なのか。

働く集団の中には、必ず、全体のためには何にもしていないサボりアリという(今つけた名前です)アリがいます。サボりアリは何にもしないのに他のアリと同じように生きています。えさも分け与えられます。だからサボりも必要と言う事でしょうか?

最初自分はこれが違和感の原因だと思いました、が、しっくりきません。子供の頃にこんな法則は知りませんし、たまたま昆虫のアリがそうなだけで、他の動物にそのまま当てはめるのは安易だし、そもそも仕事だけなら軍隊等の集団はきっちり皆がやり遂げます。普通の職場もそうでしょう。とはいえ、サボりが許されるアリの世界はどこか、意味が分からないけど息苦しそうです。となると何が変なのか。

考えてみると、微妙に、ほんの少し、不自然な事ばかりで変な理由はよく分かりません。

・イソップさんはセミで話を作ったようですが、アルプス以北ではキリギリスになったので日本にはどちらも輸入されています。どちらにせよ、アリは2年生きるかもしれませんが、キリギリス・セミは成体でもう一度夏を迎える事ができません。キリギリス・セミ生を謳歌したいのかもしれません。初めての夏ですから

・童話は絵本が多いですが、なぜキリギリスはバイオリンを持っているのか。バイオリンって高価じゃないの?

・バイオリン=鳴き声だと思うけど優雅すぎじゃない。キリギリスは臆病で雑食で、あいつらよく噛んでくるぜ

・ていうかその、質屋にでも売れば?

とか、なんとか。隅をえぐりますね。でも何かを表現するときに例を挙げたり、擬人化するのは大切な方法ですから、もし完全に一致していなかったり、嘘や矛盾があってもイソップの思いが届けばそれもありかなと、今思いました。私はあなたの話もファーブル先生の話もどっちも好きですね

4分33秒

ランチ

今日8月29日のテーマは「4分33秒」です。

1952年ジョン・ケージが作曲したこの曲は、ニューヨーク州ウッドストックにて初演を迎える。

この曲はとても有名ですね。この人の考えはとてもその時代を表していると思いますし、先鋭的で、優しさがあるように感じられますが、何にも考えずに見てしまうと、何となく自分の若いころとかを連想させてしまい、素直に拍手が出来ません。

でもあの頃に思いついてよかった、間に合って本当に良かった。なぜなら、わざわざ会場まで行って4分33秒ならまだしも、現代でサクッとダウンロードした曲が「4分33秒」だったら、・・・いやあ、これは燃えますね。不完全燃焼なのに完全燃焼です。わかります。

これに関連して、サイトで「4.33バイト」とか考えても誰も注目しないですもんね。

と言うことで、お気づきでしょうが、特に書くことが無いし、アイディアも浮かんでこないのでこれから私の書く内容を予想して下さるとうれしいです。どんな内容だと思います?

ぜひ行間も含め読んで下さい。

                 

以上でした。(ウェブだとスペースも表現の一つになるのか?)

ごめんなさい。

ビートルズ(8月28日)

ビートルズは1962年「love me do」にてデビューしたようです。ビートルズの曲の特徴や意味などは愛を持って割愛する事にして

彼らの音楽はいい意味でも、もちろんいい意味でも世界中に影響を与えてくれました。一応彼らの出身がリヴァプールと言う事もあって彼らの曲調は「リヴァプール・サウンド」とも呼ばれた、そう、昔、ある忙しい人達が経営するお店で聞いた事がある。

主人「あのころは誰も彼もビートルズに夢中でね」

私「凄かったんでしょうね、武道館でライブしたり・・・」

主人「私も熱いファンの一人でね、・・追っかけが興じてリヴァプールまで行ったよ」

私「熱心ですね、その頃だから大変だったでしょう、パスポートとか、空港の手続とか・・」

主人「それが結構簡単だったよ、思ったより環境が悪かったけどね。何クラスだったのかなぁ、「イギリスへの旅」とか言うパンフレットを日本人から貰ってその集合場所に行ったら、急に縄で縛られて・・・」

私「えっ、それは大変!」

主人「そのあと勝手に船に乗せてくれて、全く動きもとれずに鎖につながれたままリヴァプールへ送られ、それで・・・」

私「?・・・それで?」

主人「リヴァプールの観光を楽しんだ、それはそれはいい体験だったよ。お金は無かったんだがたまたま手に持っていた400年前の株式会社の株主優待券が有ってね、それを見せたらみんな優しいんだ、まさに紳士の国だね、席も譲ってくれるし、秘密のサービスだってこっそり言ってくれた、楽しい旅行だったよ。でも船旅は劣悪だったね、あの会社は誰が経営しているんだろう、全くね、私が株主だったら・・・云々。」

私(おじさん、いや、多分その船は100トンぐらいで414人ぐらい乗ってしまう船じゃないか、しかもなぜそれで向かう先がリヴァプール?、・・・あ、いや、・・・いろいろおかしいけど、ていうかこれ実話?)

主人「君は高校生だと言っていたからね、世界史の知識ぐらいあるだろう」

私「!」

主人「それでね、私はそこの、つまりビートルズの本場に着いたんだ、本場って言うのも変だがまさしく本場だった、私は探していたビートルズの原点、リヴァプール・サウンドを求めていた。渇望していたんだ。そしてやっとたどり着いた、少し古いが、しかし雰囲気のいい店を見つけ、そこのマスターと思しき人に尋ねた」

「おっちゃん、フィッシュアンドチップスとリヴァプール・サウンドあとコーラ」

主人「それから・・・」

私「オチが理解できたので今回は十分です、そろそろ家へ帰ります。」

主人「そうか、もう少しいればいいんだ、ま、それならしょうがない。アリゾナは遠いから気をつけろよ!」

私「はい、気をつけます。・・・」(ジョジョじゃねぇよ)

ヘーゲル先生(8月27日)

ある物事がどこで始まったかは完璧にどうでもいいことだ。唯一の問いは「それ自身がそれ自身として正しいか?」である。――『歴史哲学講義』(1832)

という事で08/27はヘーゲル先生の誕生日なので今日の私の成長記録はドイツ哲学の偉人、ヘーゲル先生のことを話そうかと思います、もしかしたら話さないかもとも思います。

ドイツ観念論って難しくきこえるんだけど実際どうなんだろう。自分はカントもヘーゲルも飛ばしてニーチェを知ってしまったから、なんか興味がわかないんだよね。だってニーチェのセンスすごいじゃん。読みやすいし、おもしろいし、超人だもん、吸血鬼だもん…いや、というとヘーゲル先生に失礼だよね、訂正します、単に知らないだけです。偶然です、今まで出会いが無かっただけです。

世の中にステキな美人なのに付き合ったことがない人とか、結婚できないって焦っている人がいますが

あれとおなじです。そう、出会いが無いんです。分かります。周りと比べても申し分ない、それ以上の素晴らしい何かをも持ってるのにも関わらず、発展しない、気付かれない、それはもう仕方のないことなんです、悟ります、神様の仕組んだいたずらなんです、運命の袋小路なんです。そういうこともあります。だからあんまりくよくよせず、自信を持っていいと思うんです、私は私らしく生きるんだ!

…あれ、なんの話をしていたんだっけ…

えっと、ヘーゲルがいて、美人の人が結婚できなくて……

ああ、観念論の話か。ドイツでは(そのころはドイツとは呼ばないか)周りの国、特にイタリアやフランスの人々の様に異性に気軽に話しかける事ができなくて、

「うーむ、彼らとは違う方法で充実した人生を送らなければ。」と考え、誠実さ等をポリシーにしようと彼らののアイデンティティの発展において大きな影響を与えた。

毎日続けられるかな、この文章?

慣れるかな?

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